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INTERVIEW Vol.1 

Guest : 千ヶ崎学(KIRINJI)・森信行(ex.くるり)

1996年のデビューから21年目を迎えたギター/パワーポップバンド・PLECTRUMが、実に13年ぶりとなるニューアルバム『The Life Romantic』を5月24日(水)にリリース。

 90年代のUS~UKシーンとリアルタイムに共鳴したサウンドで、多くのロックファンの心を掴んだPLECTRUM。四十路を迎えてなお、青春のきらめきを内包したメロディと歌詞を紡ぎだすタカタタイスケと、その唯一無二のギターで大物アーティストからも参加を請われる藤田顕は、移り変わりの激しい音楽シーンの中で、あくまで“バンド”にこだわり活動を続けてきた。そんなPLECTRUMに、千ヶ崎学(KIRINJI)と森信行(ex.くるり)という豊富なキャリアを持つ最強のリズム隊が合流。2人の協力を得て完成した『The Life Romantic』には、いっそう深みを増したPLECTRUMサウンドが封じ込められている。 ……というわけで、長らくメディアからも遠ざかっていたPLECTRUMの現在(いま)を聞き出すべく、都内某所で鼎談インタビューを敢行。結成初期の秘話から音楽談義まで、相変わらず“バンドマン”な赤裸々トークが繰り広げられた。

ライター:有賀誠文 カメラマン:樋口涼
2017.05.11 UP
「ずっと“レーベル・ジプシー”だった」 13年の空白期間について

― 13年振りのオリジナルアルバム、リリースおめでとうございます。

一同ありがとうございます。

― バンドの空白エピソードとして聞き馴染みがないくらいの年月ですが。

藤田顕(Gt./Vo.)気づいたらそれだけ経っちゃってたって感じですね。

― その間、お二人は各々の活動をされていた?

藤田バンド活動自体はずっと続けてたんですよ。ライブもコンスタントにやっていたんですが、フルアルバムのリリースは13年ぶりで。(その間のリリースは)自主制作で2~3枚?

タカタタイスケ(Vo./Gt.)コンピレーション作品とか毎年、何かしらレコーディングはしていて。でも、オリジナルアルバムを作ったのは13年ぶり。

― その、13年間という空白の理由は……?

藤田まあ、そうですよね(笑)

タカタいちばん単純な話でいうと、僕たちずっと“レーベル・ジプシー”だったんですよ。1996~98年までメジャーにいて、そこからは毎盤、違うインディーレーベルで。

藤田毎作品、違うレーベルから出してたんですよね、メジャー以後の4作品くらい。そこから「どうしようか?」ってなっちゃたったんですよね。

タカタしかも、その関わったレーベルが、もう……。

藤田まあ色々と中途半端というか(笑)

タカタそれで、ちょっと億劫になっていた部分もあって。毎回違うって、なんか落ち着かないし。しかも作ってもレーベルと1回きりの付き合いだから、その盤が可哀想だなと思って。そのタイミングでメンバーが1人抜けたっていうのもあって、もともと4人組だったのがメジャーの時に3人になって、13年前に1人抜けてこの2人になって……。

藤田そこはデカいですね、確かに。


旧知の千ヶ崎、セッションで出会った森 2人が参加したきっかけとは?

― では、まず千ヶ崎さんとの関係性について聞かせてください。

藤田その13年前に遡ると、結果的に脱退することになるオリジナルのベーシストが“どうなるかな?”って時期に「チガちゃん(千ヶ崎)に弾いてもらおう」ってなったのが、バンドとしては最初ですね。以前から知ってはいたんですけど。

千ヶ崎学(Ba.)2005年に(PLECTRUMのレコーディングに)一度参加してるんです。親交は2000年くらいからかな? タイスケくんと一緒にadvantage Lucy(アドバンテージ・ルーシー)っていうバンドにサポートメンバーとして参加していて、さらにPLECTRUMと一緒にツアーをするっていうのが00年頃にあって、そこからですかね。

藤田変な話、僕らデビューして21年? なんですけど、付き合いとしては一番長いっていう。

(一同笑)

千ヶ崎でも(正式に参加したのは)今回が1枚目ですからね(笑)

タカタ長いけど1枚目(笑)

千ヶ崎ぶっちゃけ、何度も“おいとま”するタイミングってのはあったと思うんですよ。

藤田いえいえ、ありがとうございます、本当に(笑)


― では、森さんと出会ったきっかけは?

藤田もっくん(森)は小宮山雄飛くん(ホフディラン)のソロプロジェクトでBANK$(バンクス)っていうバンドがあって、そこが最初だよね?

森信行(Dr.)そうですね。

藤田そこで知り合って……あれが何年だったかちょっと覚えてないけど。

あれ何年くらいやろ? 10年くらい経ちますかね。

藤田そこからまた期間が空くんだよね? 次に会ったのいつだったっけ。

<mona records>(下北沢モナレコード)で……。

藤田そうそう、そうですよ!

あれ、なんでしたっけ?

タカタモナの5周年!(※09年開催の「mona records Happy 5th Birthday Special」http://www.morinobuyuki.net/?eid=19

そうだ! 僕、ユキさん(モナレコの初代店長)には、くるりの頃からめちゃくちゃお世話になってて、それこそユキさんが心斎橋のタワーレコードにいて、モナを立ち上げるって時から。ずっとお世話になってたんですけど、モナが5周年ってことで、ユキさんが呼んでくれたんですよ。

タカタ一応、僕たちも<mona records>から1枚ライブ盤を出してるので“mona recordsオールスターズ”っていうに入れてもらって、HARCOと曲を作って。そこにもっくんとか、ベースにイトケン(伊藤健太:pogs他)とか錚々たるメンバーがいたんです。そこで<mona records 5 Years>の曲を一緒にセッションする他に、それぞれのバンドの曲を1曲ずつセッションするっていうコーナーもあったんですが、もっくんがPLECTRUMの曲を叩いてくれて「おっ、すごく良いな~」と思って。

藤田うん、良かった。

タカタなんか、今まで自分たちが思ってなかったタイミングというか……そういう感じで叩く人なんだなと思って。

藤田「Motorcycle」って曲だったんですけど。

タカタもともとドラムが入ってないアコースティクの曲だったのを、もっくんがドラムを付けてくれて「なんかすごく気持ちいい!」「この人となら一緒にやりたいな」って思ってて。それから7~8年たって、一緒にやることになったんですけど。

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「お前、辞めようとしてたんだ?」(藤田)
「俺にとってアッキーはひとつの砦」(タカタ)

― お互いを紹介し合う形で、それぞれの印象を教えてください。

藤田ご歓談って感じで(笑)

タカタじゃあ、まずチガちゃんから。本当に、この人が毎年「アルバム作ろうよ」って言ってくれてて。

藤田言ってくれてたね~(笑)

千ヶ崎いやー、もうずいぶん前から言ってましたよ。

タカタそれこそ10年くらい前から。

― ケツを叩いてくれる存在?

千ヶ崎まぁ何度叩いてもダメでしたね!(笑)

タカタある意味、この人のおかげってのもあると思います。アルバムが13年ぶりに出せるっていうのは。

千ヶ崎でも、ずいぶん前にも1回作ろうとしてプリプロした時期があったんです。だけど、そん時の曲は、あまり(アルバムに)入らなかったんだよね。それは逆によかったなと思うんですけどね、むしろ。

タカタそう、何回か“アルバム作ろう”ってなってたんですけどポシャッちゃって。それでチガちゃんも「もういっか」みたいな……。

千ヶ崎いや、違うよ。そのたんびにタイちゃんがメールしてくるんです。「続ける?」って(笑)。で、俺は「どっちでもいいよ」って送ってたっていう。

タカタそれは……(苦笑)。

藤田俺は知らなかった、それ。お前、辞めようとしてたんだ?

(一同笑)

タカタそ、そんなことない!

藤田こいつ、そういうところあるんですよ(笑)

千ヶ崎誰が続けてくれんの? みたいな(笑)

藤田なんか、大事なことを人に言う癖があるんですよ。例えば「こんな曲できたんだよ!」ってのを、知り合いのバンドの奴に聴かせるとか(笑)。で「まぁ良いんじゃない」ってなったら、やっとバンドに降りてきたりとか。

タカタいやー、俺のなかでアッキー(藤田)ってのは“ひとつの砦”であって、「この人に認められたい」ってのはすごくあって……。

藤田いやいやいや、やめなさい(笑)

タカタだから、そんな曲を作れるまで出せないな、と。中途半端に出すのは、何かちょっと嫌だなってのがあって。

― メンバーでありながら、最後の砦でもある?

タカタいっとき一緒に住んでた時期があって。その時は、曲を作ってる時に隣の部屋からそのギターソロが聞こえちゃうくらいのスピード感というか(笑)。まだできてないのに! って。

藤田多分ですけど、ある程度(曲が)できてからバッて出したいのに、その過程を見られたくないって感じなんでしょうね。3人暮らしをしてた時期があって、その時は本当に窮屈だったから、あまり部屋に帰ってこなくなったりしてたので。

タカタだから熱海まで行って曲作ったりとか(笑)。まあ、チガちゃんはそういうことを最初に言える人だったのかもしれない。

藤田お兄さん的な感じはあるね。

千ヶ崎ユルっとした返答しかできなくて、すみません(苦笑)

藤田なんだかんだ言って、大事なこと全部決めてくれてるし。

タカタ今回のレコーディングもボーカル撮りのエンジニアをやってくれて。

千ヶ崎やりましたねー。面白かったです。

タカタ俺たちに足りないところをやってくれるというか。

― けっこう引っ張ってくれる存在?

千ヶ崎や、引っ張ってはいないっすよ!(笑)。やっぱ、そこは2人(タカタと藤田)がエンジンになってるバンドだと思いますよ。

タカタでも、ちゃんとケツを叩いてくれる。

藤田シメたりして。

タカタそうそう、ちょっと怖いというか(笑)

藤田ピリッとするね(笑)

― そんな千ヶ崎さんよりは最近のお付き合いになりますが、ドラマー・森さんはどんな存在ですか?

そういうの面と向かって言われたことないなあ(笑)

藤田知り合った時から人柄が最高だったので、そこはもう全然クリアしてるし、ドラムも最高だし、絶対に“合う”だろうなとは思っていて。逆に「叩いてくれるかな?」って思ってたくらい(笑)

タカタそこは心配だった、うん。

藤田割と僕ら、サポートのドラムには恵まれてるとは思うんですけど、長いスパンで色々やっていただいてた人もいて。その前任のドラムがケンさん(溝渕ケンイチロウ)で、11台ドラムバンド・DQSのオーガナイザーでもあるんですが、彼が一身上の都合で「もう叩けない」ってなった時に「ドラマーどうしようか?」って。その時、DQSのメンバーになったもっくんの名前が浮かんだですよ。その辞める人に「もっくんどうかな?」っていう相談を実はしてて(笑)。

ハッハッハ(笑)

藤田そこで「いやぁ、もっくんよりエエのんおるで」とかって言われて(笑)。でも「あ、これは!」と思って「俺はモッくんがいい」って。

ケンさん経由だよね。僕、昔から知ってて。セロファンってバンド(1998年メジャーデビュー。現在活動休止中)をやってて、同じ関西なので。だからケンさんの命令は絶対服従なんですよ(笑)。でも、僕はホンマにプレイできることが……ケンさんにも「やったらどう?」って言われたり、アッキーさん(藤田)タイさん(タカタ)からもそういう風に言われて、もうめちゃくちゃ嬉しくて。

タカタ&藤田:嬉しい~!

もう最高、やらせてもらえることが。でも僕、実はケンさんが叩いてるライブを見たことなくて。外から見たことって、たぶん一度もないんですよね。

藤田あ、ほんと? それメンバーじゃん(笑)

― 1996年当時のライブ映像がYouTubeにアップされていますね、若々しい頃の。

当時から、すごく完成されてるというか。僕も後から見たんですけど、最初のドラムの方(中井敦:初期ドラマー)スゴいですよね、大好きなんですよ。

藤田ああ~、彼はリーダーだったんだよね。色んなものが混ざってる。ギターポップがルーツのドラムなんだけど、でもメタリカのドラムの人がすごい好きだから。

あ、ラーズ・ウルリッヒが。

藤田そうそう、だから“わざとフィルをハットだけ”みたいなことをやったりとか。そういうキテレツなことをやる人だった。

なんかギターポップっていうと僕の中で、ちょっと“弱い”イメージがあるんですけど、なんて言うんだろう? 薄かったり、フワッとしてる感じというか……。でもPLECTRUMにはメタリカとかの要素もあるし、ギターポップっぽい要素もあるし、見事にハイブリットな感じになってて。プログレっぽい感じもあるし、クラシックっぽい感じもあったりとか。そういう“混ざってる感じ”っていうのが、すごい好きで。それは絶対的に「90年代だな」って思うし、くるりの時も僕そんな気持ちでやってたかな。でも、くるりとはまた違う“ハイブリッド感”があって、それがメチャクチャ面白いんですよね。

タカタホント、もっくんとこうやって話すことってないから、嬉しい!(笑)

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「PLECTRUMは“匂い”を持ってるバンド」(千ヶ崎)
「2人がハマッたときに“マジック”が起きる」(森)

― PLECTRUMは海外でパワーポップのバンドが出てきた時代とタイミングが同じというか、ほぼリアルタイムで活動していた印象があります。そんなPLECTRUMの印象を、そのサウンドやバンド変遷を含めて、千ヶ崎さんと森さんにお聞きしたいです。

千ヶ崎初めて見た時は、やっぱり曲の良さにびっくりしましたね。あと歌詞の面白さ。歌詞の世界が、今もずっとそうですけど、とにかく面白いというか。映像が浮かぶような、しかもストーリーとか内容だけじゃなくて、空気というか“行間”とか“匂い”のある歌詞を書ける、数少ない人だと思うんですけど。それは初めて聴いた時からびっくりして。

ただ、その時のサウンドっていうのは僕の前任、きっちょん(岸原尚紀:初期ベーシスト)の存在っていうのが、ものすごく大きかったんですよ。別に、曲を書く書かないとかじゃなくて、ただそこにいて……なんか“カルチャー”っぽい人っていうか。PLECTRUMっていうバンドのカルチャーを象徴してる人だったんですよ。

藤田うんうん、“匂い”ね。

千ヶ崎どんなジャンルとかっていうくくりじゃなくて、その人の佇まいとか。あとスゲー巧いとか、単に技術だけの問題じゃなくて、その人の出してる音色の感じとか弾き方とか、全部含めて色んな匂いがあるわけじゃないですか。もちろんPLECTRUMは、もともと見てても面白かったし好きだったんだけど、やっぱりきっちょんっていうのはPLECTRUMの“象徴”っぽい存在だったし、当時。

千ヶ崎僕は正直、あんまりギターポップって知らなかったんですよ。詳しい方の音楽ジャンルではなくて、どっちかっていうと、ギターポップのつもりで弾いてたら「お前のはパブロックっぽい」って言われるような感じになっちゃう。もともとブルースとかが好きだったので。だからadvantage LucyとPLECTRUMと出会って、割と後から勉強して取り込んだ音楽っていうか……。その中で、PLECTRUMと一緒に音を出したり手伝うようになってから色々と聴かせてもらって、急速に好きになったというか。同じようなコード進行とビートがあっても、まったく匂いが違うものがあるっていうのが面白かったですよね。だからPLECTRUMはバンドごと“匂いを持ってる”というか。

― そういう意味では、個性が強かったきっちょんさん後にベースを弾くというプレッシャーもありつつ……?

千ヶ崎でも同じスタイルじゃないし、同じことはできないので。そこは開き直って「自分ができることをやって楽しもう」っていうくらいの感じでやってましたけどね。「穴を埋めよう」っていうプレッシャーとかは別にないですね。

タカタホント、まったく別物というか。

千ヶ崎そう考えると、時間はかかりますよね。それですぐに(次の)作品を作れるか? っていうと、なかなか。すごく象徴的な人が辞めちゃったので、やっぱり“2人のバンド”っていう感じになるには、それなりの時間は必要だったのかなっていう気が、今はします。

藤田全然“飛び道具”な人ではないですからね。

― 同じような感覚は森さんにもありましたか?

僕は逆に、きっちょんさんのことは全く知らないので。どっちかっていうと音楽がまずキたっていうのがあるんですけど。あとは、このメンバー2人のキャラの違いとか(笑)。なんか、タイさんのこの佇まいで「どんな歌を歌うんかな?」って思ったら、ホンマ少年のような曲を、すごいピュアな感じで歌ってて。でも単純ではなくて、すごく凝ったこと演ってたりとか。

そこにアッキーさんのギターが重なって、この2人が“ガシッ”ってハマッたときにマジックが起きる感じ。そこにチガさんのベースが乗っかって。すごくファンキーなんですけど、僕の中ではロックなんですよね、チガさんのベースって。そこがすごく上手い具合に混じってて、なんか僕はそれがすごく好きっていうか……。ありそうですけど、あんまりないですよ。タイさんのキャラも最高(笑)

― リズム隊としての、お互いの相性はどうですか?

千ヶ崎最初からやりやすかったですよ。

タカタ顔合わせのリハーサルがあって、自己紹介のときに2人が「ブラバンやってた?」みたいな。そこから演奏せずに30分もブラバンの話してて(笑)

千ヶ崎やっぱ吹奏楽出身はねー。なんか共鳴しちゃうんですよね。

僕は吹奏楽部でパーカッションやってたんですけど、チガさんも吹奏楽部って聞いて。

千ヶ崎「吹奏楽やってた?」って俺が聞いたんじゃなかったっけ。なんか森くんって、勝新のように「アーーー!」って感じじゃないですか。ものすごい“パッション”で叩くから……と思って一緒(スタジオ)に入ったら、「アーーー!」って言いながら、ものすごい細かくコントロールしてたんですよ。

(一同笑)

千ヶ崎「なんやねんコレ! めっちゃスティックコントロールしとる、顔はすごいけど!」って(笑)。あのコントロールは絶対ブラバンだなと思って。もう、ひたすら“タカタカタカ……”とかやらされるんで、あのコントロールはそうじゃないかな? と思って聞いたら。

あ、見抜かれたって(笑)。吹奏楽とロックって、ずっと別だと思ったんですよね、でも高校で「ロックをちゃんとコピーしてみよう」ってなった時に、やっぱりちゃんとやらんと音楽にならへんし。でも、吹奏楽もパッションって必要なんですよね。エモい感じと技術がくっついた感じがあって、そこは僕が大事にしているところでもあるんすけど、それと同じような印象をチガさんに抱いて(笑)。だから「クラシックだからこうしよう」「ロックだからこうだ」とかじゃなくて、音楽は全部、良いものは良いって感じでやってるので。

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